ロッキー・ザ・ファイナルがシリーズ最高の名作である3つの理由。意外性と名言のオンパレードの傑作【映画・感想】

ロッキー・ザ・ファイナルがシリーズ最高の名作である3つの理由。意外性と名言のオンパレードの傑作【映画・感想】

フィラデルフィアイメージ
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映画「ロッキー・ザ・ファイナル」を観た。
 
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「ロッキー・ザ・ファイナル」(2006年)
 
アポロ・クリードとの対戦から約30年の月日が経過した今、リングを去ったロッキーはフィラデルフィアで小さなイタリアン・レストランを経営していた。
 
最愛の妻エイドリアンはすでに他界し、息子のロバートも家を出た。
今はレストランの経営者として働く傍ら、お客に現役時代の思い出話を語って聞かせる日々。
そして年に一度、妻の命日にポーリーとともに思い出の地を巡り、エイドリアンとの生活を振り返る。
 
だがある日、スポーツ番組の企画で現役ヘビー級王者メイソン・ディクソンvsかつての名王者ロッキー・バルボアのバーチャルファイトが放送され、ロッキーがディクソンを豪快にKOする。
 
それを偶然目にしたロッキーは、胸の奥に燻っていたボクシングへの情熱が呼び起される。
 
「NEVER GIVE UP 自分をあきらめない」
 
世間の笑いものになりながら、息子ロバートの猛反対を受けながら、自らの意志を貫きロッキーは人生最後のリングに向かう。
 
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ロッキーシリーズ最後にして最高の1作。その理由を3つに分けて述べていくぞ

1990年「ロッキー5/最後のドラマ」以来、16年ぶりの2006年に公開された映画「ロッキー・ザ・ファイナル」。
 
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ボクシングを引退し、イタリアンレストランを経営しながら穏やかな生活を送るロッキーが、あるきっかけからリングへの情熱を再燃させる物語。世間の笑いものになりながらも、親しい友人や息子の応援を背に人生最後のリングに向かうヒューマンドラマである。
 
そして、僕はこの作品をロッキーシリーズにおける最高傑作であると断言したい。もちろん異論は認めます。
 
というわけで、今回は「ロッキー・ザ・ファイナルがシリーズ最高の名作である3つの理由」として、その理由を述べていこうと思う。
 
なお毎度のことではあるが、独断と偏見に満ち満ちた内容となること請け合いなので、その辺はご理解いただければ幸いである。 

ロッキー・ザ・ファイナルがシリーズ最高作である理由その1:過去作品を壮大なフリにしやがった

まず最初の理由「過去作品をフリにした」について。
読んで字の如くなのだが、この作品は過去のシリーズ(特に第1作目)のシーンが、ロッキーの回想パートとしていたるところに使われている。
 
過去の名シーンを散りばめてオールドファンを喜ばせるというのはシリーズものの王道だが、映画「ロッキー」に関してはその威力が尋常じゃない。
 
フィラデルフィア美術館の階段を上り、朝日を浴びてガッツポーズするシーンや大量の生卵をジョッキに入れて一気に流し込むシーン。また、冷凍庫で牛肉をサンドバック代わりに叩くシーンなど。
 

実は僕自身、熱烈なロッキーシリーズのファンというわけではない。だが、こうした名シーンの数々はこれまでことあるごとに目にしてきており、反射的に「ロッキーのテーマ」が脳内再生されるほど深層心理に刷り込まれている。
 

そして、その名シーンにロッキーの「今」を重ね合わせる。
年老いた今のロッキーに美術館の階段を上らせることで、必然的に若き日のロッキーを想起させる。生卵をジョッキで流し込み、牛肉を素手で殴る今のロッキーの姿に「若かりし頃の自分」を投影させ、人生の活力を得たファンも少なくないはず。
 
また、妻エイドリアンをガンで亡くしたという設定もいい。
過去の思い出にしがみつき、前に進めないロッキーの哀愁を彼女との馴れ初めのシーンで回想させ、穏やかではあるがまったく幸福ではないロッキーの境遇を表現する。
「英雄」から「過去の栄光にすがる情けない男」に貶め、クライマックスの逆転劇につなげ、それと同時にオールドファンを喜ばせる二重構造。
 
まるでこれまでの5作品が今回の「ロッキー・ザ・ファイナル」を作るためだけに存在したのではと思うほどの伏線回収っぷりである。
 
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ロッキー・ザ・ファイナルがシリーズ最高作である理由その2:名言オンパレード

続いて2つめの理由「名言オンパレード」について。
 
映画ロッキーシリーズは「ロッキーというボクサーが底辺から立ち上がり、強敵に打ち勝つ」サクセスストーリーであると同時に「名言の宝庫」とも言える作品である。
 

困難な状況に陥ったとき、挫けそうになったとき。
この映画のセリフによって、目の前の壁に立ち向かう勇気をもらった方は多いのではないだろうか。
 
もちろん、作中に散りばめられる名言という系譜はこの「ロッキー・ザ・ファイナル」にも受け継がれており、なおかつその傾向には拍車がかかっている。
 
年老いたロッキーが周囲に笑われながらも一念発起する。
息子との確執を埋めるために足掻く。
妻エイドリアンの影にすがる状況から一歩踏み出す勇気。
 
こうした設定から鑑みるに、名言が生まれるのはある意味必然ではある。だが、それでも当たり前のように僕の心を震わせたことは間違いない。
 
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名言オンパレードのロッキー・ザ・ファイナル。中でも僕の印象に残った言葉を紹介する

では名言オンパレードのこの映画の中で、特に僕の心に刺さった言葉を2つほどご紹介したい。
 
まず1つ目。
「人を指差し、自分の弱さをそいつらのせいにするな。それは卑怯者のやる事だ」(ロッキー・バルボア)
 
ヘビー級王者メイソン・ディクソンとのエキシビジョンマッチを「笑いものになるから止めてくれ」と迫る息子ロバートに対し、ロッキーが言い放った言葉である。
 
くっそがああぁぁぁあああアアア!!!!!!!
 
それ、俺に言ってんのか?
俺に言ってんのかああぁああああぁぁ亞嗚呼亞亞亞亞!!!!!!!!?????
 
はい。
自分、卑怯者っす。
失敗したときや物事がうまくいかないとき、まず自分以外の何かに原因を求めます。
「俺、悪くないもんね」と言うための理由を探しております。
最高にだっせえヤツです。
 
ロッキーは息子ロバートに「お前は違う!! 卑怯者じゃない!!」と断言したが、たぶん僕には言ってくれないと思います。
 
なお、セコンドについたロバートが必死に戦う父親の姿を見て「もう誰も笑ってない」と言ったが、あれもかなりのインパクトだったことをつけ加えておく。
 
では2つ目の名言。
「心は歳をとらないことを証明してみせて」(マリー)
 
今作のヒロイン、ジェラルディン・ヒューズ演じるマリーが、試合前日にロッキーの部屋を訪ねた際に口にする言葉である。
 
これ、あまり触れられていないようだが、僕には意外と刺さった言葉である。
 
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マリーはこのあと、ロッキーにキスをして去っていくわけだが、正直そんなことはどうでもいい。ロッキーとマリーが恋仲になろうが兄貴と妹的な関係で終わろうが、それはどっちでも構わない。
 
それより、「心は老いない」という言葉にはハッとさせられた。
 
何ごともそうだが、年齢を重ねるごとに経験値が増えスキルもアップする(はず)。その反面、精神に余計なノイズが混じることも確かである。困難な状況に直面したときに最初から「無理だ」と決めつけたり、新しいことを始めるのが億劫になったり。
 
たとえばプログラマーが新しい技術を身につける努力を怠ればそこで終わりだし、バブル絶頂期の営業が今の時代に通用するわけがない。
別に世界王者とのエキシビジョンマッチなどという大がかりな話でなく、日常生活や会社生活におけるほんのささいな挑戦でも。
 
前進を止めてしまうことを「心が老いる」と呼び、年齢に関係なくそういった人間が「老害」と呼ばれるようになるのだと思うが、果たして自分はどうか。
いつの間にかそっち側の人間になっていないか。かつて絶対にこうはならないと誓った「醜悪な大人」に足を踏み入れてはいないか。
そう考えると、確かに企業が採用条件に「年齢」を含む気持ちはわかる。
などなど。
 
このマリーのひと言は、濁った心を清める一服の清涼剤として大いに作用してくれた。 

ロッキー・ザ・ファイナルがシリーズ最高作である理由その3:メイソン・ディクソン役のアントニオ・ターバーがすばらしい

最後は3つ目の理由「メイソン・ディクソン役のアントニオ・ターバーのすばらしさ」について。
 
今作のラスボスであるメイソン・ディクソン。
現世界ヘビー級チャンピオンであり、戦績33勝無敗30KOを誇る無敵の王者。他を圧倒するスピードを活かした秒殺KOを持ち味としており、それゆえにボクシングファンから「面白みがない」と批判を受ける不遇の王者である。
 
不遜な態度も相まって観客から強烈なブーイングを受けるディクソンではあるが、本心は純粋に強さを追い求め、真の強者との真剣勝負を欲している。
反面、現状に思い悩み、それをかつての師の前で吐露する。根本の部分ではロッキーと変わらぬピュアさを持ったボクサーである。
 
「シティ・オブ・ゴッド感想。くたばれ胸糞悪いクソ野郎ども。滅びちまえよ「神の街」」
 
このメイソン・ディクソンを演じたのは、元WBA・WBC世界L・ヘビー級スーパー王者、元IBF世界L・ヘビー級王者であるアントニオ・ターバー。かつてPFP No.1の座を欲しいままにした最強王者ロイ・ジョーンズに2度勝利した選手である。
 
これもあまり言われていないが、僕はこの映画においてのアントニオ・ターバーはかなりいい味を出していたと思っている。
 
クソ生意気そうな見た目にふてぶてしい態度。それに加え、自身に浴びせられるブーイングに表情をゆがめる演技もよかった。
 
 
何より僕が気に入ったのがその設定である。
33勝無敗30KOの戦績ながら、試合がつまらないという理由でまったく人気のない王者。あまりの華のなさに、ヘビー級という花形階級の王者にもかかわらず「ボクシングを貶めている」とまで言われてしまう。
あげくの果てにはマネージャーにまで「君は飽きられているんだ」と断言され、無理矢理ロッキーとのエキシビジョンに駆り出される始末。
 
強すぎるがゆえに不当に過小評価され、雑魚専王者の汚名を着せられる。
1、2作目のアポロや4作目のドラゴに比べれば地味な印象は拭えないが、「陽」のロッキーを際立たせるための「陰」としての役割を担う魅力的な役どころだった。
 

アントニオ・ターバーの境遇がいろいろなものとリンクしていることに妙な因縁を感じる

また、アントニオ・ターバー本人の境遇が微妙にこの映画とリンクしているのもいい。
 
最強王者ロイ・ジョーンズを衝撃的なKOで沈めたのが2004年。再戦で判定勝ちを収め、完全決着をつけたのが2005年。
この2連勝によってターバーはロイ・ジョーンズのスターとしてのキャリアをストップさせたわけだが、それまでのロイ・ジョーンズは強すぎるがゆえに、試合が一方的すぎて盛り上がりに欠けると言われる選手だった。
 
つまり、メイソン・ディクソンの境遇そのものである。
さすがにロイ・ジョーンズは勝ち試合の後にブーイングを浴びることはなかったが、それでも自身の能力に見合った報酬や評価が得られない状況に悶々としていたことは間違いない。
 
そのロイ・ジョーンズに勝利したターバーが、映画「ロッキー・ザ・ファイナル」で不遇の王者メイソン・ディクソンを演じる。
あえてそうしたのかは定かではないが、この配役には妙な巡り合わせを感じていた。
 
 
しかもこのアントニオ・ターバー、48歳となった現在(2017年4月)でも現役を続けているらしい。
 
ちょろっとWikipediaBoxrecを見たのだが、どうやら多額の借金を抱えているとのこと。
また直近の試合(2015年)でドーピングが発覚し、長期ブランクを強いられたという情報もある。
 
ちなみに「ロッキー・ザ・ファイナル」でのロッキーの年齢が58歳(!?)
正直なところ、現実的にターバーがそこまで現役を続けるというのは考えにくい。だが、かつて現役復帰したロッキーを「じいさん」呼ばわりしたメイソン・ディクソンが現実世界ではいまだに現役を続行し、当時のロッキーの立場に片足を踏み入れている状況は何とも言えないものがある。
 
しかもロイ・ジョーンズもいまだに現役というね。
いろいろな意味でビックリしてしまう。
 
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ロッキーシリーズを全作品観たくなる。その上でロッキー・ザ・ファイナルが最高傑作だったと言えればいいね

だらだらと書いてきたが、以上が僕が考える「ロッキー・ザ・ファイナルがシリーズ最高作である3つの理由」である。
 
この映画を観たのはかなり久しぶりだったのだが、やっぱりよかった
時間も1時間42分と短く、余計なエピソードをねじ込んでいないコンパクトさもいい。すでに公開から10年以上が経過しているが、今後も気が向いたときに観たいと思うものだった。
 
というか、ロッキーシリーズを最初から観たくなりましたね。
1作目の「ロッキー」からスピンオフ作品である「クリード チャンプを継ぐ男」(未視聴)まで、時間を見つけてのんびり鑑賞していきますか。
 
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その上で「やっぱりロッキー・ザ・ファイナルがシリーズNo.1の傑作だった」と言えれば最高かと。
 
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