僕がサッカーを嫌いな理由。「悩みがある人間はスポーツをやれば解決する」とかいうスポーツ万能クソ理論が反吐が出るほど嫌いです

僕がサッカーを嫌いな理由。「悩みがある人間はスポーツをやれば解決する」とかいうスポーツ万能クソ理論が反吐が出るほど嫌いです

サッカーイメージ
最初に申し上げておくと、僕はサッカーを嫌いではない
 
いきなり表題を真っ向から否定する暴言を吐いてしまったが、これは本音である。2019年現在、僕は決してサッカー嫌いではないし、代表戦くらいは普通に観戦したりもする。
 
2018年のロシアW杯にしてもそう。日本代表の躍動にはワクワクしたし、それなりに感動もさせていただいた。
 
「感動したなオイw 日本vsベルギー戦感想。明確に示した日本サッカーの進む道」
 
つまり、正確にはサッカーが嫌い“だった”
 
以前までの僕はJリーグや海外サッカーはもちろん、代表戦すらも観ない人間。あまりに嫌い過ぎて、サッカー関連の番組や雑誌などをすべて遮断する徹底ぶりを発揮していた。わずかでも情報が目に入ることすら拒否していたくらい。
 
おかげでW杯期間中は観る番組がなくなり、やむを得ず「小学校3年生の理科」を観るという意味不明な事態に陥ったこともある。
 
 
結局、このサッカーへの過剰なコンプレックスは2010年W杯まで続いたのだが、今回はその原因について。僕がサッカーを嫌いになった根本的かつ超個人的な理由を適当に述べていきたいと思う。
 
 
ちなみにだが、あくまで僕が嫌いなだけでサッカー好きの方を否定する気はまったくない。
 
「僕が「アスリートファースト」という言葉が好きではない理由。それをまさかセルジオ越後が言語化してくれるとは」
 

サッカーが嫌いになったのは小学校低学年。下手くそな僕が無理やりやらされたのが…

まず、僕のサッカー嫌いが始まったのは小学校低学年。はっきりとは覚えていないが、恐らく小学校3年生だったと記憶している。体育の授業にサッカーが入ってきたのがその頃だったと思うのだが、一番の原因はそこである。
 
 
もともと僕は身体を動かすのが好きで、部活動、習い事、体育の授業、放課後の遊び等々、レベルは違えどいろいろな競技に手を出してきた。大人になった今でも、スポーツを観るのもやるのも両方が趣味になっている。
 
ただ、その中でもサッカーだけはどうにも好きになれず。何度も挑戦したのだが、そのつど高い壁に跳ね返されてきた次第である。
 
 
そもそも「ボールを蹴る」という行為が苦手で、プレー自体が楽しくない。授業以外では休み時間や放課後にもサッカーをやったが、はっきり言って下手くそだった。
 
「サッカースタジアムのアクセスの悪さは客足に影響するのか検証してみる」
 
ところが当時の僕は無駄に身体が強く、身長はクラスの中では並の上くらい。サッカーの得意なクラスメートにも当たり負けすることはまずない。しかも、運動そのものは好きなためにボチボチ動けるという。
 
こういう人間が授業でサッカーをやるとどうなるか?
 
勘のいい方はすぐにわかると思うが、キーパーをやらされるのである。
 
・身体が強い
・そこそこサイズもある
・運動能力もまあまあ
・ボールを蹴るのは苦手
 
よくわからんが、キーパーに抜擢したくなるスペックだと自分でも思う。そして、これが原因で僕はサッカー嫌いの道をひた走ることになるのである……。
 

全ポジションの中で一番つまらなかった。その割に責任だけは重い

申し上げたように、僕がサッカー嫌いになったのは小学校低学年。具体的には体育の授業でキーパーをやらされたことが一番の原因となっている。
 
理由は諸々あるのだが、とりあえず言えるのは単純に“つまらなかった”ということ。
 
試合中は基本、ゴール前で突っ立っているのみ。ボールに触る機会はほとんどない。
 
みんなが走り回っている光景を遠い場所から眺めるだけの時間を「体育の授業」などと呼んでいいわけがない。しかも、ボールに触るときは確実にピンチの場面なので、無駄に責任が重いという謎。
 
僕もグランドを走ってボールを追いかけたいのに、何ぞコレ?
「手が使える」というアドバンテージを抜きにしても、ガチで意味不明だった。
 

チームメートからの罵倒によってサッカーが大嫌いに…。ただでさえテンションが低いのに

そして、もっとも大きな理由となったのが“チームメートに罵倒された”こと。
 
繰り返しになるが、僕はボールを蹴る行為が苦手でフィールドプレイヤーとしては役立たず。無駄に身体が強かったせいでキーパーに抜擢された人間である。
 
サッカーが好きではない上に全ポジションの中でダントツにつまらないキーパーをやらされる。こんな状況でモチベーションが上がるはずもなく、上達などするわけがない。
 
また、クラスには地域のサッカーチームに所属しているクラスメートが多く、彼らは授業でのサッカーにも目の色を変えて臨む。
その結果何が起きるかというと、“できる人間 ”が“できない人間”を罵倒し始めるのである。
 
「何やってんだよ!!」
「そこはクリアしろよ!!」
「バカ、前に出たらダメだろ!!」
 
それこそ、サッカーなど1ミクロンも興味のない女の子に対してさえ、耳を疑うような罵詈雑言が飛び交う地獄。
 
「何であそこのこぼれ球に走り込んで決めねえんだよ!!」
……無茶言うなよ。
 
 
当然キーパーである僕も数々の罵倒を浴びせられたことは言うまでもない。
 
「そこで前出ろ!!」
「待ってちゃダメだろバカ!!」
「今のは取れるだろ下手くそ!!」
 
いや、知らんがな。
 
前に出るタイミングとか知ったこっちゃねえし。
取れねえもんは取れねえし。
 
だいたい1試合の中であんなに何度もキーパーとの1対1が発生するっておかしくねえか? お前らのディフェンスシステム()とやらにそもそもの欠陥があるんじゃねえの?
 
知らんけど。
興味もねえけど。
学ぶ気もないけど。
 
スポーツにおける暴言、暴力による熱血指導()で抱えたトラウマの話。「あの頃があったから今の自分がある」のかもしれないけど、負の側面の方が多そうだよね
 
サッカーが得意ではない僕

無理やりキーバーをやらされる

テンションダダ下がり

失点を重ねる

チームメートに罵倒される(ただの授業で)

ますますサッカーがつまらなくなる
 
結果、僕はサッカーそのものが大嫌いになり、わずかな情報に触れるだけでもアレルギーを起こすというめんどくさい体質になっていった。
 

「悩みがある人間はスポーツをやれば解決する」とかいうスポーツ万能クソ理論が大嫌い。絶対それはないと断言できる


表題の通りなのだが、僕は「悩みがある人間はスポーツをやれば解決する」論が大嫌いである。
 
たまにスポーツ選手やそれに準ずる人間がSNSなどで「困ったら○○をやればいい」「僕は〇〇に救われた。だからみんなもおいでよ」「〇〇をやればいじめも解決する」と声高に叫んでいるのを目にするが、勘違いも甚だしい。はっきり言って、こういうスポーツ万能論はクソ以外の何物でもないと断言できる。
 
理由は散々述べてきた通り。
僕自身がスポーツによって傷つき、甚大なコンプレックスを抱えた経験があるから。
 
 
もちろん競技を通して救われる人間がいることは否定しない。その競技に携わる過程で大事な人と出会い、多くの刺激、自信を得られるパティーンは間違いなくあるのだと思う。
 
ただ、そうじゃない人間もいるんだよっつー話。
それぞれに適材適所があるように、運動が得意な人もいれば苦手な人もいる。
 
僕自身、運動は好きだがサッカーは苦手。その苦手種目を無理やりやらされた結果、過剰に毛嫌いするようになった経緯がある。
 
武術・武道がセーショーネンのケンゼンイクセーに役立つ? わけがない。効率よく他人を無力化する技術と人間性に何の関係が? 極真の昇段審査で1人がボコされる動画を観て
 

少数がその他大勢を支配するのがスポーツの世界。「できる側」が「できない側」を理解することは不可能

さらにタチが悪いのが、「できる側」の人間は「自分ができることは他人もできて当然」と思っていること。
サッカーなどやったこともない女の子に「こぼれ球に走り込んで決めろ」と真顔でキレるメンタルがまかり通る世界。これはガチで問題だと思っている。
 
 
基本、スポーツというのは支配者層と被支配者層に分かれる
一握りのトップがおいしい部分を総取りし、その他大勢を支配する。また、各競技者は“その他大勢”から抜け出すために他人を蹴落とし、自分がのし上がろうと努力する。
 
それはもう、残酷なまでの支配。
一般社会における年功序列など入る余地もないほどのコントラストである。
 
こういう他人を押しのけてでも自分が上に行こうとする人間が「できない側」の気持ちを理解できるわけがない。特に小学校低学年では精神も未成熟で思慮深さも足りない。その分「自分ができることは他人もできて当然」という思いはむき出しになりやすい。
 
つまり、スポーツ万能論を唱える人間はあくまで「できる側」。
ヒエラルキーのトップにいる人間との意識の乖離が「できない側」を委縮させる要因となっていることは間違いないと思う。
 
 
逆に年齢が上がればある程度理解力もつくし抑止も効くようになる。部活動や地域で本格的にプレーする人間も増え、一部のエリートなどはスポーツ推薦で一段上のカテゴリーに進むこともある。
 
そう考えると、すべての人間が同じ場所に放り込まれる小学校の体育が残酷度としては一番エグいのかもしれない。
 
「「リクドウ」が井上尚弥vsパヤノ戦にそっくりだったと聞いて」
 
 
ちなみに僕の知り合いでスポーツジムのインストラクターをしている先輩がいるのだが、そこのジムに元ボクシング世界王者の川島郭志が「ボクササイズの講師」として来たことがあるらしい。
 
で、1時間の講習のうち45分間を“ジャブの打ち方”だけで費やしやがったとか。
 
「違う。そうじゃない」
「それじゃ効かない」
 
いやいやいやいや。
別に効かなくていいからww
会員さんに楽しくカッコよく動いてもらうのが目的だからww
 
とも言えず、しぶしぶジャブを打ち続けたとのこと。
だいぶ昔の話でございます。
 

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