タレントが立候補するとすげえ批判されるけど、なんでそんなにイラついてんの? 投票しなきゃいいだけじゃないの? と思うんだけど違うのか?

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都庁イメージ
2016年7月31日に行われる東京都知事選に向け、16人の候補者が出揃った。

舛添要一前知事の辞職に伴う今回の東京都知事選。いわゆる「政治とカネ」問題によって2代続けて任期途中で知事が辞任に追い込まれるという異常事態の中、都政の信頼回復はなされるのか。

なお、タレントの石田純一氏が公示の6日前である7月8日に「野党統一候補なら都知事選に出馬」する意向を表明し、話題を呼んだ。

この出馬の意向表明が参議院選挙投票日の2日前だったこと、そしてわずか3日後の11日に出馬を断念したことで、またしても話題を振りまく結果となっている。

一連の流れを受けて、今回の石田純一に対しては概ね批判的な意見が多い。

「何がしたかったのか?」
「完全に認識不足」
「バカが深く考えずに突っ走った結果」
「還暦過ぎて浅はかな勘違い」

また石田純一だけでなく、SPEEDの今井恵理子や元バレーボール選手の朝日健太郎など、参議院選挙の候補者に毎回多くのタレント/著名人が名前を連ねることにも批判が集まっている。

「勘違いだし売名行為にしか思えない」
「素人が……最悪だ」
「こういう政治経験のない知名度だけの素人が立候補するべきじゃない」
「何もできないくせに出てくるな」
「こういうのがいるから政治がダメになる」
「庶民感覚のない人間が庶民の代表になろうとするなんておかしい」

前回の谷亮子しかり、タレント出身の候補や議員にとっては相変わらず世間の風当たりは強い。

※僕はここで政治的な主張をするつもりはまったくありません。今井恵理子が選挙に関心を持った動機や、石田純一が出馬を断念するまでの経緯を批判する気も一切ないです。
また、当然ながら各氏の主義主張を否定する気も肯定する気もありません。そのことを前提で読んでいただければ幸いです。
 
「叩打法、マッサージ動画まとめ。ASMRとは何ぞ? 個人的癒し動画備忘録」
 

選挙のたびに思う。気に入らなければ投票しなきゃいいんじゃないの? キレる必要なくね?

選挙があるたびに、僕が毎回疑問に思うことが2つあります。
1つは以前にも申し上げた通り「なぜ選挙に行かない人を罵倒する人間がいるのか」

「「選挙行かないヤツふざけんな」について、頭が悪いので割とガチで教えてほしいんだが」

そしてもう1つが、
「なぜタレントや元スポーツ選手などの著名人が立候補するとキレる人間がいるのか」
です。

今回の石田純一出馬未遂や今井恵理子、朝日健太郎の衆議院議員立候補に対して、世間は往々にして否定的です。「勘違い」や「政治素人が出るべきではない」など、かなり辛辣な意見が飛び交っています。

中には肯定的に捉える人もいるようですが、批判の声の大さにかき消されてしまっている感は否めません。
まるで存在自体が悪であるかのような罵詈雑言を浴びせる人もいたり、「ちょっとそれは……」と耳をふさぎたくなるような言葉が並ぶこともあります。
 
「政治的発言をする芸能人が仕事を干されるのが当然なワケ。正しいか間違いか、右か左かは関係ない」
 
このタレント候補を批判している方にお聞きしたいのですが、なぜ著名人が立候補するとキレるのでしょうか。どれだけ考えてもわからないのですが。

今回の石田純一に関して言うと、

→現状の安部政権、与党政治に危機感を覚えた
→自分にできることはないかと考え、都知事選出馬を思い立った
→普通に出馬しても当選する確率は低い
→野党統一候補であれば可能性がある
→各党に推薦を持ちかけてみたが、反応があまりよくない
→公示までに時間的な余裕もなく、各党を説得できずに出馬を断念

流れとしてはだいたいこんな感じでしょうか。

え? これ、何がアカンの?

「憲法改正」「集団的自衛権」などについて議論したいならなぜ都知事? それ、国政じゃね? という疑問はありますが、それはともかく、石田純一が批判を受けることをしているようにはまったく思えないのですが。

衆議院選挙の直近というタイミングから陰謀説云々の話も聞こえてきますが、「だからどうした?」という話です。話題づくりに利用された? 別にそれならそれでええんちゃうの? という感じです。

僕の頭が悪いだけでしょうか。どれだけ考えても石田純一が批判される理由が見当たらない。

「意外とかんたん!東京都知事に立候補する方法」

このページにもあるように、条件さえ満たせば立候補するだけなら誰でも自由です。というか、そもそも不適切だと思うのであれば投票しなければいいだけの話じゃないんでしょうか。立候補することそのものを批判する理由にはならないと思うのですが、違うのでしょうか。被選挙権って誰にでもあるんじゃないの?

「売名行為」や「党の人気取り」という声も聞こえてきます。
ですが、今回の騒動によって石田純一は番組を降板(休演)したり、CMの差し替えによって違約金が発生したりと芸能人としてかなりのリスクを背負っています。
自分の地位や仕事を失うリスクを承知の上で、なおかつ出馬を表明するのだからそれなりの信念があったことは間違いないのでしょう。だからといって擁護する気はありませんが、批判される言われもまったくないはずです。都知事としてふさわしくないと思うなら投票しなければいいだけの話で。

選挙に出るには供託金が必要です。公職選挙法で決まっています

ちなみにですが、東京都知事に立候補する際、候補者は公職選挙法に従って「供託金」を収める必要があります。

「選挙に立候補するときに供託金を準備させることの是非は?」

もちろん都知事だけではなく衆議院議員や参議院議員、地方議員の選挙に出馬する際にも一定額の供託金が必要になります。

金額はどの選挙に出馬するか(都知事選は300万円)によりますが、一定の得票を得られなかった場合、供託金は国家に帰属することになります。
要するに選挙に落ちても決められた得票数を集めれば供託金は戻ってきます。ですが、そうでない場合はまるまる没収されて終わり。お金は一生戻ってこないということです。

※なお、上述のリンク先では供託金の是非についても論じていますが、それについてはここでは言及しません。現状の制度では供託金が間違いなく必要であるという事実だけを申し上げておきます。

また、それ以外にも選挙カーや事務所代、人件費など選挙活動にはさまざまなお金がかかります。

「ずばり、選挙にはいくらかかるのか?」

リンク先の記事によると、この東京都議会議員の方は選挙活動に800万弱の費用がかかったそうです。
800万弱という金額について、この議員の方は「上場企業のサラリーマンが貯蓄と退職金を総動員すれば何とかなる金額」とおっしゃっています。ですが、同時に普通に考えてリスクが高すぎる金額だとも言っています。

「人工知能の進化は翻訳業界の未来を奪うのか? 翻訳者の将来性は? ターミネーターの時代は本当に来るの?」

しかも都議会議員選挙の供託金が60万円なのに対し、都知事選挙の場合は300万円です。もし選挙で惨敗した場合、軽く1000万円を超える金額が飛ぶ計算になります。
また仮に当選しても、都知事を続けたいのであれば4年に1度はこの金額が必ず発生することになるわけです。

このように、選挙に出るというのは並大抵のことではありません。仕事も辞めなくてはなりませんし、経済的な負担は尋常じゃないです。もしかしたら政治的な思想を持っているというだけで周りから色眼鏡で見られることになるかもしれません。

「尾木ママが「北海道小学生置き去り騒動」の子どもの実名を連呼しとるんだが、アレはいいのか?」

僕の住んでいる選挙区では都議会議員選に出馬した数ヵ月後に、当たり前のように衆議院選に出馬している人がいました。いろいろな意味で意味がわかりません。

「都議会でダメなら国政って、もはや選挙に受かることが目的になってるやんけ」というツッコミもさることながら、そもそもこんな短期間で2度も立候補できるほどの金がどこから降ってくるのか。どう考えてもパンピーには理解しがたい領域です。

まあ、恐らく石田純一なら問題なく負担できる金額なのでしょうが。

供託金と選挙費用をサラッと捻出できるくらいの才覚のある人間が政治家になるべきなんじゃないの?

ここから先は非常に暴論なのですが、こうなってくるといっそのこと「金儲けの才能のある人間が議員になればいいんじゃないの?」という気もしてきます。

上述のように選挙には多額の費用がかかります。我々パンピーにはなかなか払えない金額が瞬時に消えていきます。ですが、それはあくまでパンピーの話。石田純一や今井恵理子であれば問題なく負担できる範囲内の金額です。

供託金+選挙資金で約1000万円。
つまり、この金額をサラッと用意できるくらいの才覚や一芸に秀でた人間が政治家をやればいい。どれだけ政治についての知識があろうが、ここぞの勝負どころを見極める目や決断力、行動力が伴わない人間が政治家になるべきじゃないということです。

何だかんだ批判はあるけど、そう考えるとタレント政治家っていうのはそれなりに理にかなってるんじゃないの?
知識だけの頭でっかちより、肝っ玉が据わったタレントの方がよっぽど政治家に向いてるんじゃないの?
現実的に多くのタレント候補が当選してるわけだし。

そもそも、いくら「庶民感覚」を強調したって、君ら庶民の言うことなんか聞かないでしょ? 隣の家のおっさんに何言われたって適当に聞き流すでしょ?
それなら誰もが知ってる有名人の言葉の方がよっぽど効果があるんじゃないの?

いや、アホな意見だということはわかっているのですが。
それでも、実際問題として都政や国政というのはそれくらいのバイタリティがないと務まらないのも事実なのではないのでしょうか。

アホな意見だということは重々承知しておりますが。

だいたいいくらタレント候補を批判したって、現に当選しちゃうんだから各党も客寄せパンダとして連れてくるでしょ。舐められまくってることはわかってても、結局思惑通りの結果が出ちゃってるじゃんか。

供託金と選挙資金で約1000万円っていうのは、その金額をサラッと払える立場の人間か、それだけリスクを背負ってでも政治家になろうっていう覚悟のある人間を振るいにかけるのにちょうどいい基準なんじゃないの?

そんな風に思えてくるわけです。

「奪われたものは取り返さなくちゃ アタシらしくいられなきゃ意味がない」
「同じStepの毎日じゃ生きてることさえ忘れちゃう」
まさかこんなことを言っていた人間が政治家になるとは思わなかったですけどね。

「親の教育・子育て失敗回避? 横並びはマジで大事。流行りには絶対に乗るんだぞ!!」

都民だけど、ごめん。これだけは言わせてww

最後になりますが、今回の都知事選に際して「今度の選挙は都民の本当の民度が試される」といった言葉を聞くことがあります。

僕は「これが我々一般人の意見です」とか「ファンはそう願っています」などと勝手に民意を代表する人間が大嫌いです。ですが、今回ばかりは一都民として言わせてもらいたいと思います。

「いや、俺らも困ってんだよww」

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