落語のおもしろさは伝えるな! 寄席に誰かを誘うと間違いなく失敗するぞ?

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提灯イメージ
先日、人生初の寄席(落語)観覧に行ってきた。
場所は新宿三丁目にある新宿末廣亭
18:30頃の入場で料金は2,500円。ラスト21:00までの約2時間半、のんびりと高座を観覧してきたわけである。ちなみに19:00を過ぎてからの入場だと1,500円に割引になるようだ。

結論から言うと、非常に楽しかった。
予約もなしで、すべて当日券の自由席。イメージで言うと昔の単館映画館のような感じだろうか。高座は一人あたり約15分。途中お仲入りも入るが、それ以外は入れかわり立ちかわりで噺家が登場する。

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昼の部、夜の部で分かれてはいるが、お客の入れ替えもなし。体力さえあれば昼の部が開始される12:00から夜の部が終了する21:00まで、ぶっ続けで居座ることも可能である。食べ物や飲み物の持ち込みもOKなので、周囲に迷惑にならなければお菓子を頬張りながら観覧することもできる。
女の人が一人で来ていたり、寝てる人もいれば、飲み食いしながら聞いている人もいる。非常に気楽でのんびりとした雰囲気の空間である。

そんな中で、僕の人生初落語体験は終止ご機嫌で幕を閉じたわけである。
 
「Bリーグ(バスケット)とかいうクッソおもしろいスポーツイベント。SR渋谷vs島根。現地観戦にはこの説得力が欲しいんですよ」
 

落語はおもしろい。だけど、誰かにおススメはしません

落語はおもしろい。そして寄席は楽しい。
だけど、誰かを誘って一緒に行こうとは思わない。

なぜか。
恐らく、合わない人には合わないだろうから。

落語を観に行くのに「落語のおもしろさとは?」という理屈が必要ならば、わざわざ足を運ぶ必要はないと思います。
伝統芸能といったって、所詮は娯楽の一つです。好きなら観ればいいし、嫌いなら観なきゃいい。
野球が嫌いな人に無理やり野球を好きになれというのは違うように、落語に合わない人に無理やり薦めるのは違うということです。おもしろさが理解できないという人は当然いると思います。そういう人が無理にわかろうとする必要もありません。
というより、そもそも僕自身が落語のおもしろさを理論的に説明することなどできないです。

昔、某芸人が盛んに「レベルの高い笑いはある」と連呼しておりましたが、僕はその笑いのレベルという概念が大嫌いです。
あの某芸人が「笑いは高度な芸術である」と連呼したおかげで、それにインスパイアされた人たちが「笑いはセンスだ」と言い張り、「笑いのレベル」について主張し合うようになりました。
そして漫才日本一を決めるお笑いコンテスト番組を眉間にしわを寄せて観るようになり、優勝した芸人に対して「こんな奴らをおもしろいと思ったことがない」と上から目線で断罪するようになったのです。

お笑い番組を観て他人といがみ合う人間を大量に生み出した某芸人の主張、そして自分と考えが違う人に対して「笑いのレベルが低い」と見下した態度をとる自称お笑い好き。僕はこれらが気が狂いそうになるほど嫌いです。
そもそもインターネットの掲示板で罵り合う行為それ自体に「笑いのセンスとやら」を感じません。

落語はあくまで自己満足で楽しみましょう。小難しい理屈をこねずに気楽に楽しみましょう

個人的な見解を述べるなら、落語のおもしろさは予定調和であると思います。いわゆる吉本新喜劇やプロレスに近いものがあるのではないかと。

「台湾式足裏マッサージに行ってきた!! in 新宿」

目の前に大きな穴がある。
今から落ちるんだろ?
「押すなよ? 絶対押すなよ?(押せよ?)」
ドンッ。
「おい!! 押すなって言っただろが(押してくれてサンキュー)」

これです。
この安心感。これこそが落語の魅力ではないかと思っています。
 
「叩打法、マッサージ動画まとめ。ASMRとは何ぞ? 個人的癒し動画備忘録」
 
噺家の話術、独演の世界に入り込む、心の内側を描く云々といった小難しい理屈などいりません。
噺家によって同じ題目でも味付けがちょっとずつ違うとか、ジャズと似ているとか、情景が浮かぶとか、そういういい感じの理屈を並べる必要はいっさいありません。

自己満足で楽しむべきなのです。
落語を観ました。おもしろいと感じました。じゃあ、次はそれを誰かに伝えたい。共有したい。
その気持ちはわかります。ですが、誰かと一緒に行くと、その人の反応が気になって自分が心から楽しめなくなります。

だから自分勝手に自己満足で楽しみましょう。
弁当と飲み物をぱくつきながらリラックスして一人の世界に浸る。出たくなったら出ればいいし、眠くなったら居眠りすればいい。全編集中して聞き入る必要もないし、笑いのポイントを探って無理やり笑う必要もない。これぞ至高の贅沢だと思いませんか?

実際、「コイツ才能ねえな」という噺家はいます。抑揚や間など、明らかに持って生まれたポテンシャルに問題がある噺家が存在するのです。
また、歳を取り過ぎて声量が全然足りていないおじいちゃんというのもいます。
声が聞こえないというのは、これは残念だけど致命的です。何を言っているのか理解するのに神経を使い、話のオチにまで気持ちがついていかない。申し訳ないけど、救いが見当たりません。
そういう噺家に当たってしまった場合は、素直に集中を切って眠りの世界に埋没しましょう。これもまた贅沢です。

ちなみにですが、運悪く「才能のない」噺家が続いた場合でも、途中に漫才や曲芸などの演目も入るので、さほど退屈せずに済みます。「今日は外れ」だと思った人は、そちら側を楽しめばいいのではないでしょうか。

真打はやっぱりすごい。これぞザ・落語。恐れ入りました

真打はマジですごいと思いました。

僕は素人なので技術的なことはまったくわかりませんが、真打の落語は心から楽しめました。
先ほど「情景が浮かぶなどという理屈は必要ない」と申し上げましたが、さっそく訂正させていただきます。情景が浮かびます。噺家の作る世界にぐいぐいと引き込まれました。
「このあと、こいつはどうなるんだ?」
「おい、そこで横道にそれるか」
「じらすんじゃねえよ」
「でも、そっちのエピソードもおもしろいじゃねえか」
「って、そうきたか!!」
「最後はやっぱりこれか」
「わはは」
たまらんです。次の展開、次の展開にいちいちワクワクしました。
 
「新宿末廣亭での落語がサイコーだった件。18:00以降入場で2500円のお得感よw やっぱり寄席っていいよね」
 
この日の真打さん、テレビにもちょいちょい出る方だったのですが、本当にさすがだと思いました。導入から本ネタ、オチまでの一連の流れ。声のトーン、抑揚のつけ方、表情。ダレる時間帯がまったくないのです。
これぞ本物の話術。そう思いました。

人生初の落語。
本当に楽しかったです。
ぜひまた気が向いたときにでも、ふらっと行ってみようと思います。

でも、誰にもおススメしません。もし行ってみて「つまらない」と思っても、僕の責任ではないのであしからず。

あくまで僕が勝手に行くだけです。

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