親の教育・子育て失敗回避? 横並びはマジで大事。流行りには絶対に乗るんだぞ!!

NO IMAGE

子どもイメージ
今回はなぜか教育論を語ってみたいと思います。しかも子どももいない、結婚もしていない僕が偉そうに語ります。
「けっ、ふざけんなよ、お?」と思った方。ちょっと待ってください。数分でいいので、ブラウザを閉じずに読み進めていただけませんか?

僕は子育ての経験はありません。ですが、今回の主張には相当自信があります。
なぜか。
それは僕が経験したことだからです。

子育ての経験がない代わりに、育てられた経験はあります。
そして、その経験が苦い思い出として今でも僕の心に深く残っています。

「電車で隣の人に寄りかからないように居眠りするたった一つの方法」

つまり僕の経験談です。
僕の子ども時代の経験をもとに、間違いを犯さない子育て方針の提案をしたいと思っています。
これをお読みになっている子育て中の方。ぜひとも参考にしていただければ幸いです。
いや、マジで。

母親には感謝してもしきれません

ちなみに僕の育った家庭はこんな感じでした。
・母子家庭
・母親の職業は教師
・公務員の家なので貧乏なわけではないが、片親なので特別裕福というわけでもない
・一人っ子

大体こんなところでしょうか。

「仕事ができない人は「相手への敬意が足りない」ってそりゃ知ってる」

念のために申し上げておきますが、僕は母親にはどれだけ感謝してもしきれないくらい感謝しています。働きながら父親の役目もしてくれ、片親という好奇の目から僕を守ってくれました。生活用品に不自由することなく暮らせたのも大きかったと思います。
今は定年を迎えて悠々自適な毎日を送っている母親ですが、いつまでも元気で長生きしてもらいたいと心から願っています。

なので、これから語るのは親批判ではありません。そこだけ誤解のないようにお願いできればと思います。

「尾木ママが「北海道小学生置き去り騒動」の子どもの実名を連呼しとるんだが」

横並びの子育て方針は絶対必要!!

まず最初に結論を申し上げます。
「横並び教育、横並びの子育て方針はマジで大事」

「横並び教育」というと、一般的に没個性の事なかれ主義といったネガティブな印象にとられがちです。日本人独特の文化とでも言えばいいのでしょうか。「長いものには巻かれろ」「出る杭は打たれる」的な、つまらない人間を量産する象徴的な言葉として捉えられています。

ですが、僕が言いたいのはそういう小難しい話ではありません。
ひと言で言うと「最低限の流行には乗っておけ」。そして「子どもに疎外感を味わわせるな」ということです。

「哲学の木は撮影禁止にするより、入場料を徴収して商売するべきなんじゃないか」

たまに「子どもには極力物を買い与えない」「流行に乗らない」ことを美徳とする家庭があります。「買えない」のではなく「買わない」です。経済的に問題があるわけではないが、教育方針として「子どもになるべく物を買い与えない」のです。

「台湾式足裏マッサージに行ってきた!! in 新宿」

もうお察しだと思いますが、僕の家庭がまさにこれでした。
そして断言しますが、この方針は100%間違っています。
なぜなら、学校で友だちの輪に入っていけなくなるからです。

話題についていけない疎外感はマジでヤバい

学校で旬な話題についていけない疎外感。
流行りのものを自分だけが持っていない疎外感。
これはマジでヤバいです。

自分の子どもがクラスで疎外感を感じる状況。
どうってことないとお思いですか?
そんなことを気にするなんてしょーもないとお考えですか?

甘いです。
もう、思いっきり甘いです。

子どもの世界はあなたの想像をはるかに超えて残酷です。
「あいつの家は○○だから」
このレッテルを貼られたら終わりなんです。

この疎外感を感じながら育つと、絶対に精神がひん曲がります。はい、絶対です。
ソースは僕です。

「会社勤めの社会人が知っておいた方がいい○○のこと。労働基準法? 自分を守るための法律あれこれ。がんばれサラリーマン」

我が家は「買わない、見せない、与えない」

僕の親はなぜかテレビドラマが嫌いでした。当然僕にも観せてはくれません。
観ることが許可されたのはNHKのみ。ゴールデン番組の時間帯に僕がずっと観ていたのはNHKのニュース。そして、よくわからない生活番組でした。
当然今旬の俳優の名前もろくに知らず、翌日の話題についていくことはできません。

流行りの音楽をまったく聴かせてもらえませんでした。これはテレビドラマにも通じる話ですが、なぜか流行の音楽を聴くこともテレビで観ることも許されなかったのです。
もちろんクラスの話題にはついていけません。ヒットチャート上位の歌手の名前を聞いても「誰それ? どこの星の人?」状態です。
僕が学生だった90年代といえばCDセールス全盛の時代で、ミリオンセラーがバンバン乱立していた時期です。その時期の知識が僕にはまるでないのです。

「タレントが立候補するとすげえ批判されるけど、なんでそんなにイラついてんの?」

当然ですが、我が家でお笑い番組は視聴禁止です。すべてのバラエティ番組は「低俗」「くだらない」と断罪され、一瞬たりともチャンネルを合わせる隙のない家庭でした。

好きなお笑い番組やお笑い芸人の話題にまったくついていけない状況。昨夜の番組の話題に乗れない状況。これは正直、かなり堪えました。
「ああいう低俗な番組など、観ない方が自分のためだ」
小学生の僕が自分にこう言い聞かせるには、精神があまりに貧弱に過ぎました。

そしてこれが最も辛かったのですが、我が家にはテレビゲームの類が一切ありませんでした。
テレビゲームといえば、当時の僕たちにとっては最も楽しい話題の1つです。
ドラクエ、ファイナルファンタジー、スーパーマリオ、ストリートファイター、テトリスやサッカー、野球ゲームetc。
新作ゲームが次々と発売され、攻略法が出回る状況に僕はまったくついていくことができません。

誰それがどこまで進んだ。
あそこに例のアイテムがある。
あの技を覚えるにはこうすればいい。
○レベル以上になれば××ができる。

日々語られる冒険の記録。
雑誌やテレビで得られる最新ゲームの情報。
まったくもってわかりません。

そして、友だちの家で見るゲーム機の神々しさ。
まさしく拷問以外の何物でもありません。

「新入社員2回目の週末。さっそく次の月曜日が憂鬱な時の3つの解決策」

もう一度申し上げますが、我が家は経済的な理由で購入できなかったのではありません。「買い与えない方針」だったのです。子どもの感じる疎外感より「物を大切にする心」を教えることを優先したのです。

年に1度のボーナスステージ。救世主はサンタさん

流行の話題にまったくついていけずに疎外感を感じていた僕にとって、唯一の希望がクリスマスでした。
欲しい物を買ってくれない親の代わりに、1年で1回だけ好きな物をくれる人。サンタさんは僕の最後の希望でした。

まさしく1年に1度だけのボーナスステージ。このときばかりは親の方針に関係なく欲しい物を手にすることができる。そう思ってウキウキで手紙を出すのです。

「サンタさん、●●が欲しいです」
住所や宛名をどう書いたかは忘れました。でも、確かに僕はサンタさんにお願いしたのです。

そしてクリスマスの朝。
枕元にはプレゼントの箱と一緒に一通の手紙。
「探したのですが、●●はありませんでした。だから代わりに××を持ってきました。これで我慢してくださいね。サンタより」

こんなかわいそうなことってあるか?

遠足で起きた地獄。味わった絶望

ある年の遠足でのできごとです。
当然ですが、僕は自分用のリュックサックなるものを買ってもらえていません。親から渡されたカバンに弁当やお菓子一式を詰め込んで出かけるのです。

そして、現地で僕のカバンを見た担任がみんなの前でこう言いました。
「君の親は教師だね。見ればわかる。だってこのカバン、教員に支給されるヤツだもん」

公衆の面前。
クラスメートや他のクラスの友だちの前で、僕自身が知らなかった衝撃的な事実が大々的に発表されたわけです。

僕もそんなに出来のいい人間ではないので、数々の失敗や恥をかいてきました。ですが、このときの恥ずかしさは今までの人生を振りかえった中でも間違いなく3指に入ります。それくらいの赤っ恥と惨めさを感じたできごとでした。
そして、気弱な僕はそのことを親に告げられずに、一人で枕を濡らしたのです。

立場上、若干のブーメランになるのですが、教師という生き物はみなさんの思った以上に空気が読めない生命体です。
学校を卒業してから一度も社会人の経験がないために、そういう社会的な通念が欠落しているのです。反対意見もあるかと思いますが、これは僕の経験からくる実感です。

学校というのは、社会に出たことのない人間が社会で生きていくための方法を教える場所です。これは本来相当いびつな構図なのです。
まあ、この話をすると脱線してしまうのでここでは割愛しますが。

No more 子どもに疎外感!! ダメ、絶対!!






繰り返しになりますが、横並びの教育というのは本当に大事です。
子どもの世界は想像をはるかに超えて残酷です。
子どもの疎外感は思っている以上に深刻です。
経済的な問題がないのであれば、最低限のスタートラインには絶対に立たせてあげるべきです。

最近娘のいる知り合いから聞いた話です。
クラス全員がスマホを持っていて、娘と担任だけがガラケー使いだったとのことです。知り合いは慌ててスマホに買い替えてあげたそうですが、それまでの疎外感といったら筆舌に尽くしがたいものであったに違いありません。

「子どもにスマホなど必要ない」というのは、あくまで大人の理屈です。
子どもの世界でそれは許されないのです。

その娘は休み時間に友だちの輪から取り残されるのです。スマホを持っていないという理由だけで、言いようのない疎外感を感じるのです。トラウマになるほどの孤独感を感じるのです。

何度も言いますが、子どもの世界は残酷です。
隣の庭の芝生が青く見えたなら、自分の家の庭をさらに青くしなくてはいけないのが子どもの世界なのです。

子育てをされている方。ぜひともそのことを肝に銘じてください。

しつこいようですが、もう一度言います。
僕は母親には感謝してもしきれないくらい感謝しています。いつまでも長生きしてもらいたいと願っています。それでも、やっぱりあの教育方針は間違っていると言わざるを得ません。

子どもの教育方針に最低限の横並びは必須です。

【個人出版支援のFrentopia オンライン書店】送料無料で絶賛営業中!!